舟木甚助(初代)生年不詳 ― 1709年 没
舟木伝内(二代目)1685年 生 ― 1759年 没
藩主・前田綱紀の時代に御料理人として仕え、台所御用をつとめ、1722年(享保7年)から前田綱紀の「御膳方」をつとめる。1722年(享保7年)に江戸幕府の台所頭小川甚四郎に師事し薗部流の庖丁伝授を受ける。1725年(享保10年)に藩主・前田吉徳の「御膳方」をつとめ、10俵加増され計45俵になる。1743年(寛保3年)御膳方をよくつとめたことにより、新知として80石を拝領。「御膳方棟取」を仰せつけられる。1719年(享保4年)の35歳頃から、『ちから草』を書く。また、三代目安信とともに、1729年(享保14年)に『料理無言抄』を編む。妻は桜田御前付賄人小川伝兵衛娘(1765年明和2年正月没)。
舟木長左衛門安信(三代目) 生年不詳 ― 1779年 没
1739年(元文4年)より御料理人として仕え、1746年(延享4年)に「政所様御料理人」、禄は切米30俵となる。1749年(寛延2年)に「御台所奉行支配」、1754年(宝暦4年)には藩主・前田重教の「御膳方定役」になり、「家藝」(料理)に熱心に取り組んでいたため、切米が5俵追加し、計35俵となる。1757年(宝暦7年)、「御台所御用」をつとめ、1759年(宝暦9年)に父の遺知80石を拝領、1766年(明和3年)「御料理頭」となる。
舟木知右衛門安通(四代目) 生年不詳 ― 1804年 没
1766年(明和3年)に料理人となり、1780年(安永9年)に遺知80石を拝領。1797年(寛政9年)に「御料理方棟取」を仰せつけられる。
舟木伝内光顕(五代目)生年不詳 ― 1846年 没
1800年(寛政12年)に安通の養子となる。藩主・前田治脩、前田斉広の「御膳方定加人」をつとめ、1829年(文政12年)に「御料理頭並」となる。
舟木伝内忠之(六代目)1817年 生 ― 没年不詳
1844年(天保15年)、光顕の跡目となり「御台所御用」をつとめる。「御丸御広式御膳所加人」、「御守殿御膳所定役」、1857年(安政4年)に「知事様御婚礼御式正方御用主附」、同年「御守殿御膳所再役」に、そして「金谷御広御膳所定役」をもって、料理人としての舟木家は終わる。